所在地:広島市中区 設計:丹下健三・浅田孝・大谷幸夫 竣工 1952年。
前回に続き広島出張時に、平和記念公園資料館へ行きました。
自身小学校以来で、その当時は「怖い」というくらいの印象しかありませんでしたが、
今、改めて行って見ると歴史の重さやこの建物の意義などを強く感じることができます。
設計は、「丹下健三」さんです。日本人で最も早く世界で活躍し認知された方で、
"世界の丹下"と呼ばれる日本建築界の重鎮であります。






ピロティの太い柱が、大きな建物を軽々と持ち上げているようで力強さを感じます。
又、その先には原爆ドームや慰霊碑を見通すことができ、公園全体が戦後広島の
復興のシンボルであったと考えられます。
この作品が事実上、丹下さんのデビュー作となりその後の東京オリンピックで
屋内競技場(現代々木第1体育館)を設計し、その名を世界に広く知らせることになります。
また、黒川紀章など多くの世界的建築家を育成したのも、この方です。
日本の近代建築が世界のトップレベルの地位を築く道を開いたこの方の功績なしに、
日本の建築を語ることはできません。
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丹下さんの初めての公共建築でしょうか。記念碑のデザインをイサム・ノグチに依頼してたのを、アメリカ人に頼むなんてダメだと叱られたとか?
この作品が認められてから大きく飛躍されましたね。
沢山のお弟子さんを育てられました。
槇文彦、磯崎新、黒川記章、谷口吉生、古市徹雄などそうそたるメンバーです。凄いの一言です。
やっぱり世界の丹下ですね。そりゃこんなスタッフ抱えていたら何でもできちゃいますよ。
よくご存知ですね~、驚きです(゜o゜)
確かに「幻のイサム・ノグチ案」の記念碑が
あったというのを
私は、ここへ行って初めて知りました。
そんな、子供の頃に全然わからなかったことが
行ってみると判ったりします。
お弟子さんは、素晴らしいメンバーですね。
いくら才能ある建築家でも、継承者がいなければ
歴史や伝統を守れません。
丹下健三だって前川事務所の所員だったということは、
コルビジェの孫弟子ですもんね(笑)
最終的にはコルビジェですか。
やっぱりそうくるんですね。
そういうことですね。
優秀な弟子たちが時代を継承します。
残念ながら、名建築家でも後継者に恵まれず
終わってしまう場合もあります。
結果的には、優柔な人材ほど早く巣立ってくれる方が
よいのでしょうか。
ここは丹下健三さんの設計だったんですか。
何度も行きながら、初めて知りました。
と言っても、私は建物よりも中身を見るのが目的なんですが・・・。
この写真のどの場所もよく覚えています。
特に4枚目の場所からドームがよく見えるんですよね。
丹下さんは原爆で亡くなった人々や広島の街への鎮魂の気持ちを設計にこめられていたのではないでしょうか。
今度行った時には建物もしっかり見てきますね。
そうでしたか。
やはりお仕事柄、よく行かれるんでしょうね。
資料館としても、とても意義のある施設です。
一廃墟であったドームを、資料館からストレートに
見通せるよう広島の復興シンボルとしたのは、
丹下だと言われています。
当時、まだ40才弱の若手建築家が考えたとは、
思えない歴史を超えた完成度の高さです。
また、違った角度からもぜひ見てみて下さい(笑)